読者は思い通りにイメージを描いてくれているだろうか?

   

占星術家というかコラムニストというか、
石井ゆかりさんというかたがいらっしゃいまして、
「筋トレ」という星占いのサイトを10年以上運営されています。
毎年、びびびっとくるような「星座別年報」をそのサイトにアップされていて
大晦日の日には紅白と同じぐらいのレベルで要チェックなのですが
そこの魚座のページから引用です。

富士山にのぼった人が帰ってきて、
近所の人にその話をしました。
富士山から見る景色は最高でしたよ、と話すと、
近所の人は、
「うちの物干しは見えましたか?」
と尋ねました。
相手は怪訝な顔をして、
「いや、お宅の物干しは、みえないですねえ」
と答えると、近所の人はこう言いました。
「おかしいなあ、うちの物干しからは、
富士はみえるんですがね」

これは、落語の小話です。
富士山から、江戸の物干しが見えるわけはないのですが、
江戸にいる人からすれば、
自分の家の物干しからは確かに、
富士山のてっぺんが見えるので、
おかしいな、とおもったわけです。
なぜ、こちらからは見えるのに
あちらからは見えないのか。
ちょっと考えればすぐに、
それは、もののスケールを無視しているからだよね、
と解ります。
でも、このご近所の人の「感じ方」には、
どこか、「ムリもないなあ」という部分があります。

私自身、以前マニラに旅行したとき、
「日本では、どんなフィリピンのテレビ番組をやっていますか?」
と聞かれたことがあります。
フィリピンでは日本の番組をたくさん放映しているそうで、
その人は、
「日本でも同じように、フィリピンの番組をやっているのだ」
と考えたわけです。
なるほど、と思いました。
こちらから見えていれば、あちらからも見えるはずだ
という感覚が、人間には備わっているのだな、と思いました。

 

 

「ひとはじぶんの見たいようにモノゴトを見る生き物だ」

と簡潔に書かれているのと、

上の引用、どちらのほうが、すっとイメージが浮かぶでしょうか?

 

長い文章を
水のように書けるひとに、私は憧れます。
渇きを癒すような清涼な水。

イメージ、想像力。
もっともっと掻き立てたい。
自分に対しても

読者さんに対しても。

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